M 被爆アオギリ2世

  被爆アオギリ2世の木の全景

幹の部分をアップで写した写真

                被爆アオギリの経緯

昭和20年8月6日 爆心地から北東に約1.5qの中区白島町の広島逓信局(現在の中国郵政局)
             の中庭で被爆。爆心地側の幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられましたが、
             樹皮が傷跡を包むようにして成長を続け、焦土の中で芽をふきました。

昭和48年5月    中国郵政局より広島市へ寄贈。6月、平和記念公園に移植されました。

昭和62年6月    3本のうち1本の幹の空洞化がひどくなり、枝枯れが見られるなどの異常が報告
             されました。
             
       7月    風倒の危険も考えられたため、支柱を立てて養生措置をとるとともに、衰弱・枯渇
             の懸念から、実生と挿し木の2つの方法で2世を育てることが健闘されました。
     
      10月    広島市植物公園で、約200個の種子をまくとともに、40本の挿し木を行いました。

平成 6年 夏    養生措置をとった1本が、高温小雨の影響でさらに衰弱。枯死部分を切除して、
             わずかに生きているとみられる根株部分を広島市植物公園に移植、延命を図り
             ました。

平成 8年 春    衰弱していた1本が完全に枯死しました。

       現在も2本が生存しており、今年も多くの花を咲かせました。
             →被爆アオギリは現在平和記念公園内にあります。


         被爆アオギリ2世の育成・配布(昭和62年以降)

昭和63年〜平成2年    実生・挿し木を合わせて139本の苗木を育成するに至りました。
平成4年 〜平成6年    3か年計画で広島市の全小学校へ1本づつ苗木を配布。
平成6年 〜          学校以外の公共施設や他の自治体への苗木配布を開始。
平成9年 〜平成11年   広島市立の中・高・その他の学校全てと、一部の私立学校に苗木を配布。
             
             以後、現在まで継続して苗木配布を行っています

  平和公園内にある被爆アオギリ(千田小学校のアオギリのお母さん)
 熱線を受けた部分は深くえぐれ、当時の原爆の破壊力のすごさを現在に
伝えています。

熱線を受けた部分