たいしょう しょうわ
大正13年4月〜昭和9年3月
1924年4月〜1934年3月
大正13年(1924年)
ひろしましりつせんだじんじょうこうとうしょうがっこう
4.1 広島市立千田尋常高等小学校としてスタートする。
じんじょうか がっきゅう
・尋常科1年〜5年(11学級)
こうとうか がっきゅう
・高等科(こうとうか) 1年(1学級)
とうじ せいもん げんざい ひがしもん もん
当時の正門は現在の東門のところにあり、門の前は
ひらたやがわ げんざい う
平田屋川が流れていた。現在は埋めたてられて、広い
どうろ
道路になっている。
じどうすう こうちょう くろせ
児童数767名 校長:黒瀬 斉
大正14年(1925年)
こうしゃぞうちくかんせい たいいくしつ としょしつ
りかしつ とくべつきょう
4.1 校舎増築完成。体育室、図書室、理科室などの特別教
しつ きょうしつ かんせい
室7つとふつう教室1つが完成。
じどうすう こうちょう くろせ
児童数968名 校長:黒瀬 斉
昭和2年(1927年)
じどうすう こうしゃ た
児童数がふえていったため、校舎をどんどん建てて行った。
だい きこうじ たいいくしつ りかしつ
こうさくしつ
第2期工事(大正14年)では、体育室、理科室、工作室、
りかじゅんびしつ さほうしつ さいほうしつ
理科準備室、作法室、裁縫室ができ、第3期(昭和2年)では、
きょうしつ あらた
4教室が新たに作られる。
じどうすう こうちょう くろせ
児童数 1292名 校長:黒瀬 斉
昭和3年(1928年)
かいがっこう もとうじな べんてんじま えのしま
7.24 りん海学校を、元宇品、弁天島、絵島でひらく。
こうどう けんちくひ しやくしょ
12.22 講堂の建築費(けんちくひ)7000円を市役所におさ
める。
じどうすう こうちょう くろせ
児童数 1360名 校長:黒瀬 斉
昭和4年(1929年)
こうどう かんせい
9.5 講堂が完成する。
げんざい だいしいくかん ほねぐ とうじ こうどう
現在の大飼育館の骨組みがこの当時の講堂のもの。
こうどう らくせいしき
10.18 講堂の落成式がひらかれる。
らくせいきねん うんどうかい。
10.20 落成記念の運動会がひらかれる。
じどうすう こうちょう くろせ
児童数 1397名 校長:黒瀬 斉
昭和5年(1930年)
ぜんこうじどう しらきやまとざん きしゃりょこう
11.5 全校児童、白木山登山のため、汽車旅行をする。
じどうすう こうちょう くろせ
児童数 1492名 校長:黒瀬 斉
昭和6年(1931年)
じどうすう ふ こうしゃ た
児童数がどんどん増え、校舎をどんどん建てていった。
とうじ にのしま じごぜん えのしま べんてんじま りんかいがっこう
当時は、似島、地御前、絵島、弁天島で臨海学校をおこなう。
じどうすう こうちょう くろせ
児童数 1581名 校長:黒瀬 斉
昭和7年(1932年)
たいそう まいにち こうてい じっし
8.1〜31 ラジオ体操を毎日、校庭で実施する。
じどうすう こうちょう さこ りゅういち
児童数 1711名 校長:迫 隆一
昭和8年(1933年)
こうか せいてい こうき
10.25 校歌を制定して、校旗を作る。
ほんこうそうりつ しゅうねんきねんしき
10.30 本校創立10周年記念式をおこなう。
じどうすう こうちょう さこ りゅういち
児童数 1843名 校長:迫 隆一